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vol. 12 「迷走の4年間」から帰ってくるまで 3/5

まゆゆ

 

負けの退社、ベンチャー企業に参加したものの…

 

 平日は仕事、休日はクラブという生活を続けていたところ、あるベンチャー企業の社長と出会った。話が盛り上がり、参加してみないかということになった。社長には、資金調達ができていないスタートアップ企業のため給料は出せないと言われていたが、私はそれでも良いと答えてしまった。専門学校の仕事と並行して取り組む選択肢もあったが、新しい仕事に専念しようと、退社することにした。ちょうど入社から3年がたった頃だった。落ち着いて考えれば、とんでもない選択だった。それくらい、閉塞感を脱却できるなら何でもいいと思っていた。

 

 退社にさいしては、誰に引き止められることもなかった。学生が色紙やプレゼントをくれたのは本当にうれしかった。学生からの個別相談は真摯に対応することだけは続けていたから、その気持ちが伝わっていたらいいと、少しだけ思った。ただ感謝を受ければ受けるほど、彼らに応えることができていなかったのが不甲斐なく、「負けた」という意識が強く残った。最終日には、上長が飲みに連れて行ってくれた。うれしかったが、帰りの電車内で安室奈美恵さんの「Baby Don't Cry」を聞いていたら急に涙腺がゆるみ、一人で花束を抱えて泣いて帰った。

 

 ベンチャー企業の仕事では、たしかに「新しいこと」に関わることはできた。記者会見の裏方をしてみたり、なぜか万里の長城に登ったりもした。「普通の会社ではできない経験ができているのは利益だよ」と社長に言われたが、何でもいいわけでないような気がして、あまり納得できない自分がいた。

「やらなければならない仕事」のダンサー

 

 退社と同時にクラブでダンサーの仕事も始めた。クラブで仲よくなった女性から、一緒にやらないかと誘われたのだ。

 

 なぜか当時の私にとって、ダンサーは「やらなければならない仕事」のように思われた。専門学校で働いていたとき、私が勧めていたのは、声優になる道だった。芸能の仕事は、自分という商品を自分で売り込まなければならないが、私にはその実経験はもちろんなかった。知りもしないまま声優になることを勧めているのが気持ち悪いと思っていた。業界こそ違うものの、とにかくダンサーをやってみれば、声優として生きる人たちの片端も知れるのではないかと思った。罪滅ぼしのような気持ちがぬぐえず、やらずにはいられなかった。

「迷走の4年間」から帰ってくるまで
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