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vol. 12 「迷走の4年間」から帰ってくるまで 2/5

まゆゆ

 

はじめての会社員生活と閉塞感

 会社に失望を覚えたのは、社内の雰囲気からだった。その企業は社員のほとんどが中途入社であり、私のような新卒の社員はほとんどいなかった。新卒採用に踏み切ったのはトップの発案で、先輩いわく「会社の色に染まる人が欲しかったみたいだよ」とのことだった。すべてがトップダウンで決まる雰囲気に、ひどい息苦しさを感じた。

 

 配属されたのは声優学科で、主な仕事は担任業務だった。授業スケジュールを組み、講師に授業を発注、確定したら学生にスケジュール共有をして、その通りに授業が進行するよう管理する。特殊なのは、それが「声優になるための学校」だったことだ。基本方針として、学生には教務をマネージャーだと思って過ごすように、と指導していた。事務所に所属したら仕事をもらうためにマネージャーに営業をかけることも必要になるから、というのが理由だった。このため学生と教務の間には明確な上下関係があった。教務のなかには、学生を従えているかのような意識を持つ人もいた。大学院で学んできた身としては、こんな「教育現場」があるのかと、ショックを受けた。

 

 「夢」を売らなければならないことも大きなストレスだった。専門学校のビジネスモデルとは、まず就職先を確保し、それに従って学生数を獲得するというものらしい。だが「夢」を追いかける学校はこの限りではない。なぜなら進路先が少なくても、声優になる「夢」は狭き門だから仕方ない、という理由で片付けられてしまうからだ。「夢」という言葉の下、学生の期待感を保証もなしに膨らますことが日常になっていた。

 

 不満がつのる一方で、私の仕事に対する姿勢も最悪だった。環境のせいにして、早々に仕事に力を入れることをやめてしまった。そのため、できる仕事が限られたまま1年が経ってしまった。その頃には、入社前の意気込みはどこへやら、自分はもうどこへも行けないという閉塞感ばかりを感じるようになっていた。

逃避とクラブ通いの日々

 

 就職2年目、自信を喪失していた私が逃げ道として選んだのがクラブだった。

 

 最初は音楽が目的だった。もともとアイドルが好きで、テクノポップユニットのPerfumeの音楽もよく聞いていた。その曲を作っている中田ヤスタカに興味を持ち、彼のDJを見たいとクラブに足を運んだのがきっかけだった。

 

 だが、クラブで男性にお酒をおごってもらううち、それが楽しいと思ってしまうようになった。仕事の何もかもがうまくいかず、しかしクラブに行けば機嫌よく寄ってきてくれる男性がいる。それが性的な目的だとはわかっていたが、それでもうれしく思ってしまう、それくらい精神が不安定だった。

 

 自暴自棄になっているのはわかっていた。こんな状況を長く続けてはいけないということも、頭ではわかっていた。クラブはたんなる逃げ場で、いつでもちゃんとした生活に戻ることができると思っていた。けれど、クラブに行くことは止められなかった。

「迷走の4年間」から帰ってくるまで
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