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vol. 6 少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること 3/5

えみし

手荒れに悩まされる日々

 それからの日々は、ずっと厚い雲がかかったような毎日だった。楽しいはずの接客をしていても手荒れのほうが気になってしまい、はやく薬をぬりたくてたまらなかった。小麦粉をたくさん吸い込んでいることも、小麦アレルギーと診断されたばかりの私にとっては怖いことだった。さらに、卵、牛乳、ごま、カニ、トマトにもアレルギー反応がでたため、なにを食べたらいいのかわからず、食欲もなくなった。それまで、疲れた身体を癒してくれていた大好きな粉モノや甘いものがなくなったことがストレスに感じた。あらゆることに過敏になってしまっていたように思う。さらに手元を見れば、まるで赤い亀の甲羅がかぶさったかのような手荒れを見て、耐えられなくなり駅のトイレで泣いて帰るというような日々を送っていた。

 お客さんは、私が手にばんそうこうをたくさん貼っているのを見て、心配の声をかけてくれることもあった。自分の身近にも同じような皮膚炎の経験のある人がいたというお客さんからは、「若いんだから、ちゃんと治るよ。大丈夫だよ。」と優しい声もかけてもらった。私は仕事中にも関わらず、涙が出そうになってしまった。仕事を辞めたくはなかったし、心配もかけたくなかったため、まわりの人に対しては気丈にふるまうことしかできなかった。工房での仕事もばんそうこうを貼りながら続けていたため、薬が効くはずもなく、ますますひどくなった。痛くて、かゆくてたまらない日々だった。夜寝るときは、医者に言われたように薬をぬって包帯をして寝ていた。休みの日になるとすこし症状はよくなるが、仕事がはじまるとひどくなる。その繰り返しだった。

 その一方で、さらなる検査と、薬をもらうために、休みの度に皮膚科に通う日々だった。食品に対するアレルギーがひとつ見つかったことで、他の食品にアレルギーがないか検査する必要があり、さまざまなアレルギー物質となりうるものを腕に注射した 。医者からは、仕事をやめないと治らないと言われた。両親からもそう言われた。自分でもわかっていた。

自分の気持ちじゃどうしようもないことがやってくる

 私はこれまで、自分の気持ちに素直に生きてくることができた。受験する学校や、部活や、アルバイトや、進路や、就職など、自分がやりたいと思ったことをひとつひとつ、納得しながらやってきた。だからこそ、大変なことがあっても、それは自分が選んだことだと思えてきた。

 今回のことは、そうじゃなかった。自分の気持ちはこんなにも、やりたいと思っている。やっと慣れてきて、楽しさも感じられるようになってきて、これからもっと学びたいことがあると思っているのに、身体はこんなにも拒否をしている。どうすればいいんだろう。誰に相談することもできなかった。答えは出ているのだから。「自分はやりたい。身体はやりたくない。」と。自分の身体のことなのに、こんなふうに予想もしないことが起こるものなのか。自分の気持ちでは、どうにもコントロールできないことがあるものなのか。

 大学四年生のときに、夏期集中講義に出席した。そのときのテーマだった「なぜ働くのか」というテーマが頭の中で繰り返された。まるで、自分はもう働くことができないと叩きつけられたような気持ちだった。

 実際にパン屋で働く方々に小麦アレルギーの方は多く、それをきっかけに辞めていく人も多いのだという 。パン屋で働くうちに小麦アレルギーが発覚する人もいれば、小麦粉にたくさん触れることで発症する人もいるそうだ。また、小麦粉を毎日吸い込むことで、喘息のような症状が出てしまう人も多い。自分のアレルギーが見つかってから、さまざまな体験談をインターネットで調べたり、友人に話を聞いたりした。パン職人の小麦アレルギーをきっかけにお店を閉店する人もいれば、症状に悩まされながらも、だましだまし続けている人もいる。私が働いている工房のシェフも、パン作りをはじめたばかりのころはアレルギーに苦しんだという。その人は、「それが原因で辞めるのは悔しいからここまで続けている。」と言っていた。その言葉は私にとって励ましのようにも聞こえたが、プレッシャーのようにも感じた。

少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること
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