ホーム > 旅の栞OBOGコラム > vol.6 えみし 2/5

vol. 6 少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること 2/5

えみし

働く場所を見つけるまで

 その後、偶然求人サイトで見つけたベーグルの工房に応募してみた。一度購入したことがあっただけのお店だったが、初心者でも応募可能であったし、何もしないで「経験がないから」とうじうじ悩んでいるよりはましだろうと思ったのだ。

 働きはじめてみると、小さな工房だったために、すぐにベーグルの生地に触らせてもらえた。生地を丸めたり、のばしたり、形を作る作業に私も加わらせてもらえた。毎日粉まみれになりながら、黙々と生地を丸める作業はとても楽しかった。窯でベーグルを焼き上げる作業もやらせてもらえたが、夏の暑い中、さらに窯の温度で汗だくになってする作業も、不思議と苦ではなかった。ただ、お店の方々は自分たちが作っているものに対して誠実に向き合おうとはしていない人たちだった。ベーグルの上にかけるトッピングを間違えても、廃棄にするのはもったいないからとそのまま売るような雰囲気ができあがってしまっていた。むしろ、自分たちがこの工房でベーグルを作ることを、「自分の仕事」として考えることから逃げているようにさえ思えた。私は、絶対にこの人たちのようにはなりたくはないと思いながら、ただ自分にできることを淡々と行うことしかできなかった。その他にも経営の面であやしいところが多々あるこの工房に深入りするのは危険だと判断して、また私は別の仕事を探しはじめた。

 ベーグルの工房に入り、少しでも製造職を経験できたことで、私はさらに「おいしいものを作りたい」という気持ちが強まっていた。接客も好きだったため、製造と接客とをバランスよくすることができたら一番だと思うようになった。結局私は、個人店の小さなベーカリーカフェでの接客販売の仕事と、関東にチェーン展開する店舗 にパンや焼き菓子などを出荷している工房での製造の仕事とを、かけもちで行うことにした。仕事を辞めたばかりの頃の、自信がなく落ち込んでいたときの自分と比べたら、前向きな気持ちを取り戻すことができていた。ベーグルの工房で働いた期間のおかげで、以前働いていた会社で得た衛生面の知識や、お客さんにおいしいものを届けたいという思いがしっかりと自分に根付いていることに気付けたからだった。

二つの仕事

 私が入ったベーカリーカフェは、しばしば雑誌に取り上げられるような人気のあるお店だった。さまざまなところからお客さんがたくさん来てくれる。それでもまちのパン屋さんとして、近所に住むおじいさんおばあさんにも食べやすい、毎日食べても飽きないようなパン作りをしていた。スタッフの方々の接客も丁寧で、繁忙店にも関わらずひとりひとりのお客さんに笑顔で接していた。こんなにも丁寧に接することができるのはどうしてなのだろうと疑問に思うほどだった。

 しかし、お客さんとさまざまに会話できるのが楽しい反面、自分が投げかけた一言でお客さんのことを喜ばせも、悲しませも、苛立たせもしてしまうことを改めて痛感した。仕事で疲れている人、なにか悲しいことがあった人、悩んでいることがある人に対して、自分がかけられる言葉はあまりにも少なく、自分はあまりにも未熟に、うすっぺらく感じることがあった。

 小さなお店のため、一番忙しい午前中の時間帯以外は、私が一人で売り場に立つことがほとんどだ。そのため、特に午後になると、私がお店の顔であり、訪れるお客さんは私の接客でこのお店のことを判断することになる。それは、ある意味では私がこのお店の雰囲気を作ることができるということでもある。まだ入ったばかりのころは、それをプレッシャーに感じていた。さらに、お店のオーナーと店長が中心になってお店を経営しているため、アルバイトの私には介入できない部分がある。自分がどのようにして、どこまで深くこのお店に関わることができるのか、悩むこともあった。

 工房では、出荷時間などがきびしく決まっているために、自分なりに速く作業をしているつもりでも「遅い。」と怒られ続けた。出荷が終わると次の日のための計量や仕込みを行う。三十キロの粉袋を持ち運んだり、大きなパウンドケーキがいくつも並んだ鉄板を焼時間ごとに入れ替えたりする作業は体力を消耗した。それでも、ベーグルを作っていたときと同じで、苦には感じなかった。実際には一日の仕事が終わると疲れきってしまっているのだが、身体を動かして作業に集中することは、私にとってはとてもやりがいのあることなのだと思う。さらに、その工房では、毎月商品のラインナップを一部新しくしていたため、自分が今まで作ったことのないような、しかも自分では作ろうと思うこともなかったようなお菓子を作ることができた。知らないことを知るのは楽しい。お菓子を焼き上げるだけでも、火の入り方によって膨らみ方がまったく異なること。生地を混ぜているときの、卵やバターの温度によって、完成のときの生地のきめ細かさが変わることなど、実際にお菓子を作りながら覚えていった。失敗するのが怖い反面、実践を通して学べることで、すぐに自分の身になるような気がして嬉しかった。

アレルギーの発覚

 そんなふうに工房の仕事が楽しく感じることができるようになってきたころ、手荒れが本格的にひどくなった。工房での仕事をはじめた頃から、手首から手の甲にかけて、部分的に荒れてしまっていたのだ。作業中は合成ゴム製の手袋を常にはめていた。目の回るような忙しさで、水仕事で少しくらい手袋の中が濡れても、頻繁に手袋を交換している暇はなかったため、手が蒸れている状態になっていたことが原因だろうと思った。それまでは痛くもかゆくもなかったために、まあいいかと思っていたが、それでは誤魔化しきれないほどになっていた。さすがに皮膚科に行き、アレルギーなどの検査をしてもらった。

 皮膚科での検査の結果、小麦アレルギーなどが見つかった。小麦アレルギーは、仕事で扱うすべての商品に小麦粉を使い、作ったり、売ったりしている私にとっては致命的なもののように感じた。さらに、免疫力が非常に低いことを指摘され、激しい運動を控え、過労にならないよう、規則正しい生活をするように言われた。仕事柄朝が早いので、夜は早すぎるほど早く寝ていたし、食事もしっかりとっていた。それでも規則正しくと言われ、これ以上どこを正せばいいのだろうと戸惑った。たしかに、工房での仕事はきつく、終わると駅の階段を登れないほどくたくたになって帰る日々だった。私は疲れやストレスを感じたときに対応するホルモンが通常の人の三分の一程度しかないことも言われ、そのために、疲れたときにそれらがかゆみなどの皮膚炎の症状として表れるのだそうだ。

 私はそれまで自分がなんとなく感じていたが、気のせいだと思って済ませていたさまざまな症状が、そこですべてのつじつまが合ったような気がした。なんてやわな身体なのだろうと、情けなくなったし、これから、どうすればいいのかわからず落ち込んだ。

少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること
1 |  2 |  3 |  4 |  5