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vol. 10 あなたにわたしの話をしよう 5/5

テルミン

「あなた」と「わたし」の話をしよう

 自分を産み育てたのだからなんでもわかってくれるはずという勝手な期待で、母の気持ちを傷つけてしまった。確かに母は二十数年間、共に暮らしてきた家族だが、わたしとは違う国、時代で育ち、異なる人生を歩んできた一個人だ。個人と個人の認識に隔たりがあることは当然であって、伝えようとしなければ理解されることはない。なのに、なぜ当然のように理解してくれているはずだと期待してしまったのだろう。プレゼント事件はそれが可視化された結果だった。以心伝心、母親だったらなんでもわかってくれているという幻想に捕らわれて、伝えずに済んでいたことがきっとたくさんある。それは「ジャッジされ疲れ」したわたしが、母に対して同じことをしてきたことに気付いた瞬間であり、未だに怒りを溜め込んでいる測定所で起きたことと同じことをしているから大失敗なのだ。

 「愛情」を理由にしたジャッジは一方向ではなく、間違いなく母からわたしにも向かっている。今回の帰国で母が気付いたかどうかわからないが、わたしは母から少し距離を取ろうとした。母娘間の距離が近く、これまで互いに過干渉してきたことに2年離れて初めて気付いた途端、どのように接していいかわからなくなってしまったのだ。買い物は一人で行きたい。送迎がなくても一人でどこへだって行ける。友達や恋人との付き合い方に口を挟まないでほしい。そういったことを繰り返し伝えたと思う。

 クリスマスの出来事はわたしの中でうまく消化されず、自責と羞恥で向き合うことのできない苦い思い出となって残り続けていたのだが、やっと吐き出すことができた。自分の中でぐるぐると漂泊していたカオスを見つめて、形を与えることはこんなにも骨が折れる。自己表現にはエネルギーがいる。それを伝えるのはもっとエネルギーがいるし、なにかを変えようとすることはもっともっとエネルギーがいる。

 きっとわたしの主張を両親に伝えることは、これまで運営されてきた「家族」に少なからずひびを入れることになる。ひびが入ってバラバラになって、人と人の関係に再構築できれば良いが、物理的な距離の離れた今、簡単にできることではないのだろう。両親がそれを望んでいるかもわからないし、どんな顔をして話をしたらいいのか想像すらできない。ただ、「家族だから」で許し、許されてきたものを見つめなおすこと。その一歩目がわたしにとって、両親と向き合い、「わたし」と「あなた」の話をしようと言える手助けとなることを信じている。

おしまい

あなたにわたしの話をしよう
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