長谷川一ゼミ[hajimedia.net] > 旅の栞 > vol. 3 自転車と出会って <きーにゃん> 4/4

2014.09.27
vol. 3 自転車と出会って  4/4

きーにゃん


 

 メッセンジャーになる

 卒業論文で扱ったクラブカルチャーについての考察の結果、「パーティーでパーティーピープルはテクノロジーで実現されるクラブミュージックや演出を身体で感じ、踊る経験を快楽や神聖性に結びつけているが、ここで得る快楽はDJが機材を操作することによる場の管理や、規則的なリズムなどのシステムと不可分なものであり、リズムや音量は身体の動作を規定している。テクノロジーやシステムに管理された人間の生き方は歴史の中で異議を唱えられてきた経緯があるがクラブカルチャーにおいてはその関係が要請され、テクノロジーの追求によって実現される領域が重要であるためにパーティーでの経験が重用視されているのだと分かった」(卒論概要からの抜粋)と述べた。このとき得た「システム」や「管理」というキーワードに対する興味を発端に、卒業後は中小IT企業に就職した。「システム」や「管理」に仕事を通して関わることができれば、クラブカルチャーについて別の切り口から考えていくことができるのではないかと感じたからだ。

 会社では大企業向けのとある基盤システムに携わる部署に配属され、そのシステムを導入し稼働させている企業に常駐してユーザ対応やサポート業務を行うのが主な仕事であった。いずれは技術職につくことを目指し、研修を続けた。人、モノ、金の動きを管理してそれらをデータとして蓄積し、経営向上にデータを反映していくシステムであったので、ここでがんばることで何か分かるきっかけがあるかもしれないと思っていた。実際は、そんなことを考えるに至らず、目の前の仕事に必要な知識を覚え、環境に適用し、毎日働くだけで時間が過ぎていった。このままで良いのだろうかと思っていたころ、自転車に出会った。

 ある時期常駐していた現場が、コピー機、シュレッダー、エアコンの操作音とキーボードを打つ音が響くほど、静かで会話なき空間だった。与えられたノートパソコンでひたすら仕事に打ち込む毎日で、1日ほとんど誰とも会話をせずに仕事を終えることも多々あった。新しく高級なオフィスビルにあるその仕事場は、広い窓が一面に広がり、東京の空の変化をいつも見ていられたが、室内は恐ろしく一定の温度に管理され、機械的な空間だった。耐えきれず、昼休みには自転車で周辺へ出掛けていた。次に配属された現場では電話でのユーザ対応が含まれたため会話はあったものの、与えられたノートパソコンに向かい、外の様子も分からぬままひたすら仕事を行なうことに違いはなかった。こういう環境の中で毎日を過ごすことに、徐々に違和感を覚えるようになった。

 自転車通勤の間は、さまざまな場所を通り過ぎ、多くの情報に触れられ、幅広い刺激を受ける。また、自転車に乗っていると、町や道、空気と自分がシンクロしていくような感覚が気持ち良く、高揚する。クラブやレイヴで感じる高揚感にも似ている。クラブでは、クラブミュージックの反復するビートやリズムにシンクロするように身体を動かす。身体が何かにシンクロする感覚と、クラブミュージックのビートやペダルを回す行為のように反復の要素が、高揚感の鍵なのだろうか。それとも、反復するからシンクロし、高揚するのだろうか。自転車に乗っていると、気持ちいいし、楽しいし、安心する。朝晩の通勤の時間が、かけがえの無い楽しみであった。

 メッセンジャーとは、自転車で書類や荷物を配送する配送員だ。主に、都心主要地域にて急ぎのものや、当日中に届ける必要がある荷物を配送する。わたしが常駐する仕事現場はどれもオフィス街にあったため、毎日必ずメッセンジャーが行き来する様子を見た。交差点を通過するメッセンジャーを窓から眺め、どことなく羨ましい気持ちにもなった。旦那がメッセンジャーになってからは、街中のメッセンジャーがより目にとまるようになった。程なくしてわたしも彼を通していろいろなメッセンジャーに出会い、街中で挨拶されるようになった。皆、個性溢れるキャラクターだった。また、メッセンジャーのドキュメンタリー映像や映画等で表象される雰囲気や登場するメッセンジャーたちの印象も、どこか逸脱していた。それらが表面上の印象でしかなかったのだとしても、メッセンジャーという仕事には自分がこれまでやってきた仕事とは違う、ワクワクする魅力があるように感じた。

 ちょうどその頃、会社で配属される現場や今後のキャリアについて意見や希望が噛み合わず悩んでいたことも影響し、この機会にメッセンジャーになるしかないと実感した。その後挑戦した東京〜神戸間の自転車旅での連日の長距離走行を乗り越えられたら、面接を受けようと決めた。

 

 I’m a bike messenger.

 いくつかのメッセンジャー会社の面接を受け、今年の2月に母体がバイク便でありながらメッセンジャーも一部勤務する会社の配送員として、請負契約を結んだ。正社員で安定した給与に社会保険や年金が完備されていた前職とは違い、あるのは契約だけ。ほとんど何も保障されていないし、事故や怪我が付き物だが、それでもやってみたかった。

 座学研修や配送の同行研修を受け、記録的な大雪の日に初めて1人で配送を行なった。仕事にも慣れず、道もよく分からず、雪に対処する装備もなく、全身雪でずぶ濡れになって凍えながら配送した初日は忘れられない。ただ、生きて帰って来たこと、無事仕事を終えたことが格別に嬉しかった。オフィスで働いているときには皆無だった感覚だ。

 毎日配送していると、さまざまな場所で荷物を引き取り、運ぶ。繰り返し行く客先やよく通る道を中心に道を覚え、やがてエリア間の関連や配送に最適な順番などが少しずつ分かるようになり、蓄積された情報が点となり、それらがつながって線となり広がって行く。自転車に出会った初期から感じているように、今でも毎日自転車に合わせて自分がアップデートされていくのが好きだ。自転車に乗り始める前とは道や街の見え方がまるで違うし、乗り続けている今も変化している。電車で移動していた頃には見えなかった、街と街が隣接する東京を移動する楽しさを毎日味わえるし、毎日違うさまざまな景色を見て刺激を受けるのが楽しい。

 メッセンジャーになって半年の今は、道の知識、ビルや建物への入館方法、配送効率を良くする努力や工夫など、まだまだ学ぶ日々だ。毎日その日の天候を全身で受け止めながら、無事帰って来られたことを密かに喜ぶ。天候や体力など耐えねばならない辛いときもあるが、安心安全で予定調和な毎日ではないからこそワクワクする。生の喜びを感じられる仕事と言ったら大袈裟だが、生きている実感を味わえる仕事だと思う。

 業界でも珍しい夫婦でのメッセンジャーとして、今日も明日も走ります。ストリートで会いましょう。

おしまい     

自転車と出会って
1 | 2 | 3 | 4


長谷川一ゼミ[hajimedia.net] | 旅の栞 top