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2014.11.20
vol. 4 じぶんの力で「変身」する  2/3

しおりん


 

 『セーラームーン』20周年

 私の趣味のひとつはアニメを観ることだ。なかでも一番といえるほど好きな作品が、卒論でも題材に取り上げた『美少女戦士セーラームーン』だ。

 現在『美少女戦士セーラームーン』は、20周年の記念プロジェクトとして、原作である漫画版をアニメ化した『美少女戦士セーラームーンCrystal』の配信をはじめ、ミュージカルの上演やさまざまなグッズ販売をおこなっている。化粧品や文房具、バッグやポーチ、さらには女性用の下着などのアパレル商品と数多くのグッズが販売されている。20年前のアニメを観ていたいまの私と同じ年代の人をターゲットにしたような化粧品や香水など、なかには金額が高価なものもある。

 ツイッターでセーラームーンの20周年アカウントをフォローしていると、次々に新商品を知らせるツイートが流れてくる。予約をしないと手に入らないものもあるので、目に留まった商品があれば予約開始日をチェックし、予約時間の数分前に販売ページにアクセスして待機、商品を購入する。購入不可能になってしまった商品は、オークションやショップなどにプレミア価格で売られていることもある。

 そのなかでも特に私が集めてしまうのが、変身ペンをモチーフにしたボールペンや化粧品、変身コンパクト型のケースといった「変身アイテム」をモチーフにしたグッズだ。ボールペンは1本1000円と高価なのにもかかわらず、セーラー戦士10人分それぞれの変身ペンを購入してしまった。

 しかし、そうして目を光らせて購入したグッズも、特にボールペンなどは置き場に困り、いまは部屋のオブジェと化してしまっている。たのしいのは商品を手に入れるまでの一瞬だけなのだ。

 それでもなぜこうした「変身グッズ」を買ってしまうのだろうか。  

 『セーラームーン』の「変身」

 それは卒論でとりあげた「王子様」にもつながる、私の関心事のひとつだ。

 「変身シーン」はセーラームーンだけでなく多くの女児向けアニメや魔法少女もので描かれる、アニメにおける「お約束」のひとつといえるものだろう。

 20年前に放送されていたアニメでは、シリーズごとに内容を変えながら、全200話ほぼ毎回にわたって変身シーンが描かれている。現在配信されている「セーラームーンCrystal」も同様で、第1話のそれを私自身期待しながら視聴した。アニメが配信されているニコニコ動画では、変身シーンに入ると「キタ━(゚∀゚)━!!!」などといった待ちわびたコメントも見受けられる。

 前作の変身シーンと比較してみると、まず長さが58秒と前作よりも15秒ほど長い。セーラームーン以外のアニメの変身シーンをいくつか見てみると、前作放送時のアニメでは40秒ほどであったのにたいし、現在では45~60秒ほどのものが多く、その長さは徐々に長くなっていることがわかる。Crystalではセーラームーン自体がCGで描かれており、手を空にかざしてマニキュアが塗られるおなじみの入りから、胴、手、足、アクセサリー、スカートの順(これは前作とほぼ同じである) に変身していく。CGによって360度あらゆる角度から描かれるセーラームーンを、上から下、下から上、ズーム、ロングと、360度のあらゆる角度でカメラが追っていく。BGMは「プリキュア」シリーズでおなじみの高梨康治。テンポは前作と同じくらいだが、四分音符を基調としたメロディーラインで、八分音符を基調とした前作のものよりもゆっくりと聞こえる。また、セーラームーンが腕を振る、あるいは回転するたびに「ズオッ」というような効果音がつけられている。全体として前作の変身シーンよりもゆったりとして重く迫力があり、変身していくさまをこれでもかと見せつけているような印象を受ける。

 

 「つらい時間」から「変身」すること

 どこにでもいる平凡な女の子が、敵を倒す力を持った戦士へと変身する。それは、変身する前の状態と変身した後の状態が対立することによって成立している。この構造を逆転させる機能を持つのが「変身シーン」であり、私が卒論に書いた「王子様」である。卒論を書いていくなかで、こうした変身シーンや王子様的存在が華やかに描かれれば描かれるほど、対する世界を「つまらない」「平凡なものだ」とするような見方は強調されてしまうことがわかった。

 私がアニメや買い物などの趣味に没頭しているときを「楽しい時間」とするならば、仕事の時間は「つらい時間」といったように、私は仕事と趣味に線を引き、じぶんのなかで対比していたように思う。そして「つらい時間」から「楽しい時間」への変換を求めるように、変身シーンに憧れ、変身グッズを買っていたのだ。

 しかし、変身シーンを見たからといって、変身グッズを買ったからといって、じっさいのじぶんに何か変化が訪れるわけではない。私が「楽しい時間」に感じていた不安はまさにこのことだった。「王子様」がわたしにとって、それを望む自分を映す鏡のような存在であったように、ここに置き去りにされている変身ペンもまた、私自身であるかのように思えてきた。

 私にとって仕事とはほんとうにつらいだけのものだろうか。

 思い返してみると、じぶんのやりたくないことや苦手なことから逃げているだけであったような気がする。わたしが仕事を忘れようと没頭していたのは、文字どおり「楽」な、なんでもじぶんの思いどおりになる、じぶんにとって都合のいい世界だ。退屈でつまらないのはむしろ、そうした世界にただ浸っていることなのではないか。わたしにとっての「楽しい時間」が仕事の時間を「やりたくない」と思わせていたような気がしてならない。

 しかしそう思いつつも、変身シーンや王子様といった存在は私自身にべったり張り付いてしまっている。360度のカメラワークから逃げられないように、もはや簡単にはやめられないのである。

 ただ「変身」することを望んでいるだけではなにも始まらない、行動へと移さねばならない。

3へつづく     

じぶんの力で「変身」する
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