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2014.08.27
vol. 2 私の異界体験──1年間TV局のADをして考えたこと 2/3

ちえみん


 

 『千と千尋』のトンネル

 ADの仕事を辞めてから、私は自分の卒論を読み返した。

 私は卒論において、『千と千尋の神隠し』という映画について映画公開から卒論を書いた2012年時点までどのような言説が語られてきたのかを調べ、語られている内容ごとに分類するということをした。読み返してみるといくつかの気付き、発見があった。

 『千と千尋の神隠し』をめぐる言説の中に映画のラストシーンについて言及されているものがある。千尋が両親と再会し、再びトンネルを通るシーンである。ここでは、冒頭でトンネルを通る際に母親の腕にしがみついていた千尋のカットと全く同じものが使われている。

 このシーンについて様々な言説があったが、私はなぜ最後のシーンでも千尋は冒頭と同じ表情をしているのだろう、とずっと腑に落ちなかった。トンネルの向こうの世界ではあれだけ大変なことを乗り越えて、表情もキラキラしていたのに、なぜ逆戻りしたような表情をしているのだろうか、と。

 

 テレビ局という異界

 しかし、今ならわかる気がする。1年間仕事をしてみて、私は確かに前よりも少しはタフになったかもしれない。だが、なにかが劇的に変わったかというと、何も変わっていないのだ。ADの仕事を辞めてもうすぐ3か月がたつ。今のわたしの正直な気持ちは、「わたし、本当にあんなところで働いていたのだろうか」というものだ。過ぎてしまえば、そのことが疑わしくなる。まるで千尋が湯屋での記憶を夢だったのかもしれない、と錯覚するように。

 今考えてみると、1年間働いていたあの場所は私にとっての湯屋、異界のようなところだったのかもしれないと思う。仕事をしてみて、いや、仕事をしてそして辞めてみて初めて『千と千尋の神隠し』を今までとは違った視点で見ることができた。これも1つの大きな発見であった。

 辞めたばかりの時、私はこの1年ですごく成長した、などと思っていた。しかし、いざADになる前の生活に戻ってみると、意外なほど自分は何も変わっていない。そう簡単に人間は変わらないものなのだな、と落ち着いてきた今は思う。

 

 働いて生きていく

 仕事を始めるにあたって1人暮らしも始め、なるべく親には頼らないようにしようと、援助はなるべく受けずにここまでやってきた。しかし、1か月も仕事のブランクがあると、ある程度貯めた貯金はあっという間に無くなった。そして、それと同時にお金がなければ私は本当に暮らしていけないということに気付き、愕然とした。湯屋の「労働を続けなければ生きていけない世界」こそ現代社会を表している、と語っているものが多くあった。湯屋の世界では働き続けなければ人間として生きていくことができないのだ。

 現代社会の中で生きていくために私たちは必死に労働を続けなければいけない。そんなことあるもんか、大学生の頃は根拠もなく思っていた。しかし今、その言説が心に深く刺さる。

3へつづく     

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