ホーム > 旅の栞OBOGコラム > vol.8 ふーみん 1/4

vol. 8 かけるのは、時と醤油と数と文章 1/4

ふーみん

明治学院大学文学部芸術学科2007年度入学。長谷川ゼミ2期生。卒業論文のテーマは「『時をかける少女』にみる時間のイメージ」。卒業後はデータ処理関係の企業に勤務。

私の人生は、「こんなはずじゃなかった」

 誰でも替えがきくような「平凡な大人」にはなりたくない。職場では「君でなければこの仕事はできない」と頼られ、休日は行楽にでかけてワクワクしながら息をつくひまもないような充実した新鮮な毎日。それが大学入学当時に掲げていた人生の青写真だった。

 でも実際の私は今、台所で乾燥ひじきの封を開けている。

 大学卒業から5年が経った。今の時点で私の頭をかけめぐっていることについて、この場を借りて記録させていただく。少々長くなるかもしれないが、乾燥ひじきを水で戻すのにはちょうどいい頃合いかもしれないので、しばしお付き合い願えれば幸いである。

大学生活なんて、簡単でしょ?

 幼き頃より絵を描くことが好きで、でも美大は早々にあきらめて明治学院大学の文学部、芸術学科に入学した。幅の広そうな芸術メディア系列をとりあえず選択し、中学高校時代に身に着けた優等生気質で単位を一つも落とさず順風満帆。あとは自分の好きなことについて熱弁をふるった卒論を書いて、芸術関連の会社に就職という人生楽勝コースの地図を胸に抱き、大学最後の1年を謳歌すべくゼミに入った。

 しかしながら卒論のテーマ設定段階で、その地図は灰と化す。卒論は論文である以上、出発点となる問いが必要になる。だがこの「問いをたてる」という考え方が、私のそれまでの学びで欠落していた。目の前の事象をそのまま見ているだけでは問いは生まれない。その事象を、与えられた視点以外から捉えることが論文の出発点になる。しかし私は単位を取得するという結果だけに満足し、その目を鍛えることを巧妙にさぼって4年生になってしまっていた。問いとは何かもわからないほど盲目だった。

 どうしようもなく不勉強な私だったが、長谷川先生とゼミ生や先輩たちの力添えにより、卒論提出へ至った。この過程は本稿の主旨ではないので割愛させていただく。でも一言だけ添えるのであれば、それは一生かかっても返しきれない恩義である。

かけるのは、時と醤油と数と文章
1 | 2 | 3 | 4