【Report:調査結果】



ここは「公園調査」フィールドワークの調査結果をまとめたページです。
以下では、公園周辺の歴史と調査結果について記載します。

下の【調査結果の各公園名】をクリックすると、各公園の調査エリアをご覧いただけます。
地図にある数字の場所は、人がいた場所です。また、説明書きは、地図に記載されている数字と対応しています。

公園歴史調査

・和田倉噴水公園-東京駅-

東京駅はかつて「三菱が原」と呼ばれていました。かつては、中央停車場として計画され、 原野になったのは、三菱がこの周辺を買い取った後であり丸の内界隈が将来的に市街地化を示しました。その結果、周辺にあった軍関係施設が邪魔になりました。そのため、陸軍は麻布へ移動しました。元手がなかったため、宮内省などに呼び掛けたのですが、誰も応札しないという状況になってしまいました。後に、蔵相、松方正義の仲介により三菱が地を買い取ります。その額150万円でした。三菱でなければ出せず、三菱でも一括では無理でした。三菱は不要な施設を取り壊し、野原となった後、中央停車場の話を具現化(明治20年頃から)しました。

・中池袋公園-池袋駅ー

元々、池袋は農村地帯でした。山手線となっている赤羽~品川間が開業した際も農村で需要がなかったため池袋に駅は設けることができませんでした。1903年に田端への支線を延ばすための分岐駅を設置することになったのですが、この時の第一候補は目白でした。地形等の問題で目白は断念され、池袋に駅を設けるに至りました。このようにして池袋駅は出来上がりました。その後、現在の西武線、東西線が乗り入ることで街とともに少しずつ大きくなっていきました。

・白金台どんぐり児童遊園-白金台駅-

名前の由来は応永年間に開拓した柳下上総介氏が、大量の『銀』(よみ:シロカネ)を所有していたためです。「銀長者→白金長者」と呼ばれるようになりました。かつて白金地区は印刷業や金属加工の町工場や住宅が混在していました。やがて、戦後になり高級住宅(マンション)が建てられるようになります。東京メトロ南北線の全線開通に伴い2000年に駅が完成しました。このように白金台駅は出来上がりました。それにともない白金の再開発が始まりました。


調査結果

【和田倉噴水公園】

【中池袋公園】

【白金台どんぐり児童遊園】