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vol. 7 平成版・東京ガールズブラボー? ──都内で働き暮らす日々のなかで考える 2/5

サラダ

「働く」ということについて学生時代に考えてきたこと

 学生としての期間が終わり親からの援助がなくなった以上、好むと好まざるとに関わらず、食べていくため、とにかく仕事はしなければならなかった。

 私は働くということには、かねてから2つの選択肢があると考えていた。

 ひとつは「仕事/趣味」と分けて、プライベートな時間が多く取れる仕事につき、仕事はお金を稼ぐための手段として割り切って、趣味の時間を楽しみにするという選択。ふたつめは、「仕事/趣味」と分けることなく、いわゆる「好きなこと」を仕事にして、労働時間は長くとも、その働く時間自体に価値を見出すという選択だ。

 私は中学・高校と自分の進路を考える上で、ずっと後者を望んでいた。なぜなら、労働は一日のなかで大半の時間を費やすからだ。そのため、その時間で自分の「好きなこと」をして充実した時間を過ごせるのなら、それにこしたことはないと思っていた。

 そうして、この考え方をしていたとき、私は「好きなことを仕事にする」ということに対して、なにかとてつもなく大きな期待をもっていたように思う。極端に言うと、好きな仕事であれば大変でもきっと毎日がキラキラとして楽しい、逆にそれ以外のお金を稼ぐ手段としてだけの仕事はただ苦しいだけ、というように両極にも考えていた。

 それゆえ、大学時代は、卒業後に仕事にできるような「好きなこと」を探すのに必死だった。でも結局、大学時代の4年間を通してそれがはっきりと分かったわけではなかった。むしろ、そういった「好きなこと」を探すことを称揚する社会の空気そのもの、そうしてそこに巻き込まれ、それが見つからないからといって勝手に自信を失っていく自分自身に疑問を抱いていくようになった。

 そのようなわけで、大学卒業後の私のいちばんの本音は、「できることなら働きたくない」といった調子であった。だが、現実はそうはいかない。働かないと食べていくことはできない。さあ、どうする。手元にある限られた選択肢のなかで、少しでもましなほうを選ぼう。

東京で就職することを選ぶ

 大学卒業当時、私にとって、東京には地元の静岡にはないような華やかな仕事がたくさんあるように思えた。特に就職サイトのカテゴリで、いわゆる「クリエイティブ系」という言葉で称される括りがひときわ魅力的に感じられた。

 どうせ働かねばならないのなら、地元に帰って少ない選択肢のなかで選び、〈仕事/趣味〉となるより、幅広い職の選択肢がある東京に残って、自分が少しでも興味のあることを仕事にして、それに時間を費やす生活をしよう。つまり、学生時代に思い描いていたような、100パーセントこれしかないという「好きなこと」を見つけて仕事にするという訳ではなかったが、「お金を稼ぐ手段として」という目的にシフトしつつも、自分の「興味」を完全に捨てきらない選択──先に挙げた2つの選択肢で言えば、その中間ライン?──を選ぼうと思ったのだった。それが現実を見たうえでの選択だと、当時の私は思っていた。

 しかし今考えると、そのときもまだだいぶ、「好きなことを仕事に」という考えに縛られていたように思う。詰まるところ、自分のことばかり考えていたとも言えるかもしれない。それについてはまた後述する。

 そしてこの頃、卒論執筆を機に学術系の本を読むことが面白いと思うようになった私は、それに関連する仕事をしたいと思った。そこで、ひとまずは出版業界に入ろうと思い採用されたのが、とある小さな編集プロダクションだった。

平成版・東京ガールズブラボー?──都内で働き暮らす日々のなかで考える
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