ホーム > 旅の栞OBOGコラム > vol.6 えみし 5/5

vol. 6 少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること 5/5

えみし

いま思う、これからのこと

 一年で会社を辞めてからこんなふうに体調を崩しており、会社を辞める前よりも、状況が悪くなっているのではないかと思うときもある。でも、考えてみたら、やりたいと思っていることをやることができているなんて、なんてしあわせなことなんだろうと思う。

 工房では、製造ではなく販売職へ異動することも特別に許可すると言ってもらえたが、工房の方々は、「それでもあなたは製造がやりたいんだもんね?」とわかってくれた。

 手荒れは、よくなっているとは言い難い状況だ。もちろん、病院に通う前に比べたら、症状も落ち着いているが、自分にもわからないようなちょっとしたことですぐにまた症状がひどくなってしまう。どうやって付き合っていけばいいのか、付き合っていくことはできるのか悩む日々は終わらない。おそらくこの湿疹は、今の仕事をやめない限り、何度も繰り返していくのだろうと思う。こまめに薬をぬらなければならないこと、出かけるときも包帯をまいていかなければならない状況。これから先、今のような生活が続くと思うとぞっとする。続けられるのか不安にもなる。答えを先延ばしにして、湿疹を繰り返すことが果たして自分のためになるのかどうか、わからなくなるときもある。もしかしたら、辞めてみたら意外とあっさりあきらめがつくのではないかと思うこともある。私は、今までやってきたことに囚われすぎているのかも知れないし、そんな足かせみたいなものは捨ててしまってもいいのかも知れない。今すべてを辞めてしまうことができたら、どんなに楽になるのだろうとも思う。

 どちらが幸せなんだろうかと問いかける。手荒れを我慢して、毎日包帯してもやりたいことをやるか。少なくともこの手荒れというやっかいものは、毎日毎日わたしの中にストレスを積もらせる。手荒れのせいで気持ちの浮き沈みが激しいときもある。なによりも、かゆくて痛くて、こんなふうになってしまっていることが辛くてたまらない。

 それにしても、この世の中は何かを選ばせようとする。それは、たくさんの選択肢を与えているように見せながら、与えられたものに沿っていくとすごく道が狭くなっていくような気がする。そんななかで何かを選ぶというのは、あまりに酷なことじゃないだろうか。

 工房の人からも、「あなた今は若いけど、私も三十歳をむかえてパン屋でのやけどのことを後悔するときがあるよ。」と言われた。三十歳をむかえるとき、私はどうなっているのだろう。まだ続けているのだろうか。そして今のことを、後悔しているのだろうか。

 それでも私がまだ、「きっぱり辞めよう。」という選択にいたらないのは、これはもはや私だけの問題ではないと思うからだ。私が辞めたら少なくとも、ベーカリーカフェはまわらなくなってしまう。もしかしたらそれは、私がお店の一部になれているということかもしれない。私にしかできないことが、ほんの少しずつでもできているということだ。工房での仕事だって、これからもたくさんのできなかったことができるかも知れない。それが楽しみでたまらないと確かに思う。そんな葛藤の中をいま私は生きている。

 結局、迷いに迷ってどこにいきつくのかわからないコラムとなってしまった。でもそれが、今の私の思いなのだろうと思う。ゆっくり悩みたいし、先を急ぐ必要などない。いままでそうしてきたように、納得して進んでいきたい。もし辞めることになったとしても、自分でその道を選んだのだと言えるように、自分がやりたいことをやるんだと覚悟を決めて会社を辞めたときの自分に恥じないように。

 年が明けたこの時期に、卒業後のことを振り返ることができるコラムを担当させてもらえたことを嬉しく思う。このコラムを抱負として、少しずつでも、確実に、ひとつひとつ積み重ねていく年にできたらと思う。

おしまい

少しずつでも、確実に──パン屋で働きながら悩んでいること
1 |  2 |  3 |  4 |  5