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2014.09.27
vol. 3 自転車と出会って  3/4

きーにゃん


 

 TOKYO TO KOBE

 100km以上の距離を走行することを、一般にロングライドと呼ぶ。わたしの通勤の場合、遠くても片道13kmの道のりとなる。帰宅途中にどこかへ寄ったとしても、1日で走る距離は30km程度だ。週末に自転車でふらっと出掛ける場合も、横浜までだった。地元の神戸に自転車を持って帰り、ヒルクライムという山登りをしたことはあるが、長距離を連続で走った経験はなかった。夏休みを9月の平日にもらったため、メッセンジャーになった彼の仕事に半日同行して走ったことはある。それでも数kmの短い距離を細切れに配送していくので長距離を連続で走り続けたわけではなく、合計しても100km走ったかどうかは怪しい。

 そんな中、インターネットのニュースで、東京の日本橋から大阪の梅田新道間の550kmを、どちらかをスタート地点に24時間以内に走破する「キャノンボール」という種目の存在を知った。それを機に、自転車で旅をした人の記事や動画などを見るようになり、多くの人がそのような旅を行なっているのを知った。多数の自転車旅動画や、日本人のメッセンジャーの女性がワルシャワからマドリッドの約3000kmという距離を1ヶ月かけて走破したという記事も見つけた。自転車での旅をかっこいいと感じ、挑戦してみたいと思った。

 そこで、年末年始の休暇を利用し、旦那と2人で神戸まで約600kmの距離を自転車で帰省することにした。年末年始は、大概冬晴れで雨が少ない印象だ。一日に連続で100km以上走ったことのない自分には、毎日連続でどれほど走り続けられるのかまるで未知だったが、自転車を購入して約1年になるこの区切りにロングライドに挑戦してみることにした。

 天候の変化に臨機応変に対応できるような着替え、最低限の整備用品、補給食などの荷物を準備し、いつもと同じメッセンジャーバッグに詰めた。予定では12月29日に出発し、31日の大晦日の夜に到着する二泊三日の旅程だった。必死で走れば一日200km進むことも可能だろうと見込んでの旅程だ。荷物もあるため、箱根の山を超えられるかどうか危惧し、東京から国道246号線を進み厚木から御殿場を通って静岡へ入るルートを選択した。三重県の亀山周辺まで主に国道1号線を進み、国道25号線で伊賀へ、国道163号線で奈良に向かい、以降生駒山を超えて大阪入りし、天満にある友人宅で休憩後、神戸を目指す。

 29日の朝9時頃出発予定だったが、忘年会での暴食が祟り旦那がお腹を壊していたため、沈静化を待って出発が13時にズレ込んだ。出発し、国道246号線沿いを進む。段々と景色が郊外へと移り変わって行く。神奈川に入ると細かいアップダウンが続き、地味に体力が消耗し、厚木で休憩をした。必死で進んだが神奈川を超え静岡へ入る道のりはアップダウンがしつこく、御殿場まで上りが続いた。山の中では、途中で車通りさえ少ないバイパスに入っていたようで、自転車に装着しているライトでは暗くて進み辛かった。−1℃の寒さで路面も凍っていた。街もなく、寒くて暗かったため、長く終わり無き道を登っているようでキツかった。やがて赤く光るパチンコ屋の看板が見え、明かりに安心するとともに、御殿場の街が近いことに歓喜した。国道沿いのチェーン店にて暖かいチャンポンを啜り、「暖かくて明るいってなんて素敵なのだろう」と感激した。とりあえず三島で宿を探すことにし、御殿場から約25kmの距離を進んだ。東京、神奈川を超え静岡に入るまで続いていた上りが嘘のように、三島に着くまでほとんどペダルを回す必要もなく、ひたすら下った。1日目、約120km走破。目標に遠く及ばず。

 国道1号線沿いに静岡を進むが、1日目と違い割と平坦な道が続くので、2日目は割と楽に距離を稼げるのではないかと期待していた。あわよくばここで一気に名古屋まで行ければと思っていた。はじめは、すぐ側に聳える富士山や、冬晴れの海沿いの道の気持ち良さにはしゃいだ。次第に左足の膝の裏からふくらはぎにかけて痛みが生じるようになった。前日にはじめて走破した、アップダウンの多い約120kmの道のりで足がこれまでにないダメージを蓄積した上、平坦な道で真っ向から受ける強い向かい風に、手を焼いた。湿布を張って、痛みと戦いながらなんとか辿り着けたのは、浜松。2日目、約135km走破。事前の目標は無謀だったと思い知る。静岡は広い。

 予定では、大晦日である3日目の夜に神戸に到着するはずだったが、これまでの走行状況を見ても、浜松から1日で神戸に行けるわけがない。年内に帰省するのを諦めた。相変わらず向かい風に手を焼き、足の痛みは増し、一向にペースを上げられない。長かった静岡を終え、愛知に入ったが、国道沿いの単調な景色が繰り返された。向かい風は続き、足は本来痛かった箇所を庇ってきた別の箇所が次々と痛みを訴える。旦那はわたしの痛みを気遣い、励まし、走行ペースを合わせてくれた。家族からは諦めて電車で帰ってこいとしつこく連絡が来たが、最後まで自転車でやり通すと決めた以上ペダルを回すしかない。町並みが都心らしく変わっていき、名古屋が近いのを感じると、やはりモチベーションが上がった。名古屋では栄で名古屋飯を食らい、ドラッグストアで外用鎮痛剤を買った。少しでも神戸に近づくため、地図曰く宿泊施設の密集する三重県の桑名を目指す。鎮痛剤のおかげでなんとか桑名に辿り着いたが、駅周辺の宿泊施設がどこも満室で片っ端から断られた。近くにある長島スパーランドというアミューズメント施設を利用する客でいっぱいなのだという。盲点だった。何軒か粘って、なんとか空き室を見つけた。大晦日なので、ビールを買ったが飲めずに眠りにつく。3日目、約135km走破。満身創痍。ようやく西日本へ。

 これまでに経験したことのない疲労感と痛みを抱え、朝食にありつく。コンビニの駐車場で、唐揚げ弁当にインスタントコーヒーを味わう元旦。予定もあるためなんとしても今日中に神戸に帰らねばならない。鎮痛剤を塗り、湿布を貼り、バファリンを飲み、なりふり構わずドーピングした。ここまでしても押さえ込めない強い痛みをこらえながら、進んだ。亀山では突風のような向かい風にめげ、この旅最低時速を記録した。一方で、三重の山奥の道は景色も美しく、自転車で来てよかったと実感した。

 伊賀に着いた頃、旦那のチェーンが切れた。直すために持参した道具にも不備があることが分かり、絶体絶命の時間を過ごしたが、2人で協力してどうにか手持ちのリンクをチェーンに差し込み、乗り越えた。伊賀を超えて奈良に入り、山道が続く中いつの間にか日が落ちて真っ暗になった。道幅が狭く、暗い国道163号線をひたすら行くが、終わりが見えない。やがて、前方に見える空が明るさを帯びて見えるようになり、都会が近いのを察した。国道163号線を抜け、山道を出たがまだ明るい空は先のようだ。奈良と大阪との境に聳える生駒山の急な傾斜を上り、とても長いトンネルを抜けると、眼下に大阪の街が広がっていた。気分はガガーリンだった。「地球は青かった」ならぬ、「大阪は明るかった」。ずっと心の支えだった明るい空が慣れ親しんだ大阪で、今目の前に広がっている景色だと思うと、ここまで来れたことに感動し目頭が熱くなった。

 途中、天満に住む友人の自宅で一休みし、神戸までのラスト約40kmに向けて出発した。大阪を自転車で走るのは初めてだったが、東京とはまるで違う広い道幅や路面の傾斜のなさに驚いた。見覚えのある国道43号線を走るが、元旦の夜というだけあり、車も人も皆無に近く、約40kmの間人気のない真っすぐな道を進み続けるのも、またしんどかった。最後の最後にも関わらず判断力が鈍るほど疲労困憊し、一度は「ここからタクシーで帰ろう」と嘆き、うずくまった。旦那に励まされ、やっとの思いで正気を保ち、とにかく進んだ。気付けば見慣れた神戸の街中に到達し、実家に着いたのは日付も回った深夜2時頃であった。4日目、約190km走破。東京、神戸間無事完走。

 毎日仕事で100km以上走っている旦那と違い、筋力、体力ともに非常に厳しい道のりであった。幾度も新幹線で行き来して来たこの距離を、自分の力だけで移動する大変さを思い知ったが、自転車でなければ見る事の無かった景色や、知らなかったであろう地名や地形に触れられた。何より、4日間連続の厳しいロングライドを乗り越えられた、この事実がもたらす自信は大きい。この先何でも乗り越えられるような気がする。正月恒例のおみくじも、大吉を引き当てた。

4へつづく     

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