リフレクション座談会は10月17日に行いました。
それぞれの実体験に基づいて自分たちの3年半を振り返っています。
それではごゆっくりお楽しみください。
ちえみん 1年のときは授業受ける時、どんな感じでしたか?

ミシェル 1年のときは、最初長谷川先生に少し委縮してた。ちゃんと受けないと怒られそうだから嫌だなって思ってちゃんと受けてた。でも、先生がレポート課題を出すときに「こなしちゃだめ」ってことをすごい言っていて。

黒帝 それはずっと言われてたよね。

ミシェル でも、どうやったらこなさないことになるのかがよくわからなかった

さちこ 私、みんなのレポートをコピーされてまとめて配られる(*)って言うのが初めてで…。

*レポートの配布

えみし 私は1年のときは長谷川先生の授業をとってなかったんだけど、友達にみんなのレポートがまとめてコピーされているやつを見せてもらったことがあって、名前入りでこんな風に配られるなんて絶対受けたくないって思ってた。

ちえみん そっか。レポートを見られるのが嫌って人もいるんだね。

さちこ・えみし うん。

黒帝 俺は何も思わなかった。

ミシェル 私も、誰も見ないだろうなって思って何も感じなかった。

ちえみん でも結構あれってさ、みんなに見られるって思うと、ちゃんと書かなきゃっていうのはあった。下手なこと書けないなって。

えみし 私も2年から長谷川先生の授業受けて、みんなの分コピーして配られると、緊張感があるなと思った。手抜けないし、みんながどんなふうに取り組んでいるかわかるから…

ちえみん そうだよね。

ミシェル 私は先生が、座学だけじゃなくて、みんなが面白いと感じるような授業をやっているだけだと思ってた。

ちえみん どこでそう思ったの?

ミシェル 一般教養の授業(*)とかを受けていると、ただ出席とればいいみたいな感じじゃない。でもそういうのとは違うんだなぐらいに認識してた。でも今思うと、大事なことをやってたんだよね。


*一般教養の授業



ちえみん 1年生の授業は、最初からグループワークで寸劇(*)をやろうって言われて、私は嫌だなぁって思ったんだけど、みんなはどうだった?

*寸劇

さちこ 1年のときは、周りの意見に合わせている感じはあった。

ちえみん 私は1年のときはグループをつくるのが嫌いだったんだよね。友だち同士で人数が合わなかったりすると面倒臭いし。でも今は、全然そういうことは思わなくなった。逆に、知らない人と一緒になるのも面白いって思ってて、そういうふうに思うようになったことは自分の中で変化したところかなって思う。

黒帝 1年のときのグループは、どう決めたの?(*)

*1年のとき

ちえみん 周りにいる人たちで組んだよね。

えみし 2年後期のデジスト(*)も自由に組んだよね。

*デジスト

ちえみん じゃあ、グループを自由に組まなくなったのは、3年の本ではない本(*)から?

*本ではない本

ミシェル 本ではない本ではその人の題材によって、長谷川先生が組み合わせを決めてくれたよね。

ちえみん 意外とずっと仲のいい人同士で組んでたんだね。

黒帝 俺は結構それが嫌だったけどね。

ミシェル 私は、あんまり親しくない人と組んだな。自己紹介ツールの時は、女子1人余ったんで、男子のグループ入りますってなった。デジストでは4人でグループ組んだんだけど、2人抜けたんだよね。

えみし 2人も抜けたんだ?

ミシェル 1人は、テーマ発表のときに長谷川先生に「このままでは、だめ」って言われて。授業のあと友達が「先生にOKもらえそうなテーマを決めるだけなんじゃないの」って言って、それが嫌だっていって抜けちゃった。

ちえみん そういう人もいるよね。

ミシェル でも私も最初、ただ先生にOKもらえそうなテーマを言えば良いだけなのかなって思ってたけど、そうじゃないよね。これが本当に自分にとって切実なことなのに、なんでわかってくれないのって思うんだけど…自分が切実だと思ってたことが、実はどういうことだったのかっていうのを考えなきゃいけないのに、それを考えずにただ思ったことをばーっと言ってるだけで。自分の見方でしか見られてないから先生は「そういうことじゃないからもっとちゃんと考えなさい」って言ってくれてるんだけど…

ちえみん 結構そういうところで考えが分かれている気はするよね。自分の考えを否定されるのが嫌だからって理由で辞めちゃう人も多い気がする。

ミシェル でも否定じゃなくて。それが本当はどういうことなのか考えなさいって言うことなのに、否定されたみたいに思っちゃって、もうやだってなっちゃうんだよね。

黒帝 でも2年のその時からこういう風に考えなきゃいけないんだなってことまで考えて取り組んでた?

さちこ 考えて…ない。

ミシェル 今もそういう風に考えようと思っていてもなかなか考えられないしね。

黒帝 今思うとそういう意味で先生はいろいろ言ってくれていたんだなってわかるけど、その時は何も考えてなかった。よくわかんないけど、だめって言われたからやり直さなきゃ、みたいな。

えみし でも先生が言っていることって全部的を得てるじゃないですか。

ちえみん
黒帝
うん。

えみし だから、なんとなくだめって言われたからやり直そうっていう感じじゃなかった。指摘されたことがすごいグサってくるから、もやもやしちゃって。だから、やらずにはいられなくなるみたいに作用している気がする。デジストの時は、自分の中でもあまり納得いってない部分とかを言ってくれるから「ああ、そういうことか!」って。そういうふうに考えればいいのか、みたいに導いていってくれた感はあるかも知れない。

ちえみん グサッって言われた?

えみし そう。先生にデジストの絵コンテを見せに白金校舎の研究室に行ったときに、私結構内容をオブラートに包んだ感じで絵コンテを書いて行ったのよ。テーマにしていたことの背景とかを、あんまり見せたくないなぁと思って。そしたら、先生に「これだときみのいいところが全然出てないよ。それはなんでかわかる?」って言われて。私がその時具体的に経験したこととか、その時にどう感じたかっていう部分が出てないから、誰が語っても同じことを言えるものになってしまうって言われて。あ、確かにって。

ちえみん そういう風に言われたんだ。

えみし そう。だから具体的な経験が大事ってそういうことかって。そういうことを言えることで、私じゃないと語れないことになるのかって思って。

ちえみん 私も授業内でどんなデジストにするかを発表してる人の話を聞いて、自分がテーマに考えてたことが本当に切実なことなのか?って思った。そこからはじめて自分にとって切実なことってなんだろう、って真剣に考え始めた。それで、今のことだけじゃなくて、過去を掘り下げていかなくちゃいけないなって気付いたかな。

えみし そう。デジストの授業受けたのって20歳のときだったよね。先生が「いま自分にとって切実なこと」っていうテーマを出したときに、今の自分にしか語れないことを考えてみてくださいって言っていて。それで私は、成人になったとか、大学生だとか、つい自分が今どういう社会的立場にいるのかみたいなことを考えてしまったの。でも考えてみれば今の自分っていうのは、いろいろな過去があって積み上げてきたもので。そういうことにだんだん気付いていったよね。

ミシェル 私は自己紹介ツールもデジストも、あんまりグループの人たちと話し合った覚えがなくて。結構自分一人で頑張ってきたって感じで、いまいちグループワークの大切さがわかりきれてなかった感じがある。

えみし グループワークがあんまりうまくいかなかったって言ってたよね

ミシェル しかもグル―プワークっていうと、協調性とか、みんなで何かをやるってことの大切さみたいなことを言っていると思ってて。でも、3年生の集中講義(*)ではじめてグループワークってみんなで仲良く協調性を保ってやるものじゃなくて、いろいろな人が違うことを言うことで、自分が考えていたのと違う視点で物事を見ることができるから大切なんだなっていうのが分かって。そこでやっと初めてグループワークの大切さを知った。

*集中講義

さちこ 私はむしろ自分はあんまり考えられていなかったけど、周りの子がすごい考える子だった。自己紹介ツールの時も、私はこれくらいでいいのかなっていうレベルになってしまったのに対して、グループの子は本当にギリギリまで泣きながら考えてて。それを見ているうちにもやもやするようになってきて、こんな状態でいいのだろうかと思いながらも、そのまま来てしまった感は、ある。

黒帝 俺は、一人一人の発表にグループで責任を持たなきゃいけなかった(*)ってことが一番でかい。もともと自分にあんまり辛いことを課さないというか、適度にやっときゃいいだろ、みたいな感じでそれまでずっとやってきて。後で大変になるとしても結局困るのは自分だから、それでいいと思ってた。でも、グループで責任ってなると、自分が適当にやったらそれがグループの人の評価に影響するから、それは嫌だなって思って。それまでも、やるのが嫌だったからやってなかったんじゃなくて、ただ「楽なら楽なほうがいいな」くらいに思ってただけだったから。じゃあやるかって思って、それまでより真面目に取り組むようになったかな。

*グループで責任

えみし そういうのを聞いてると、グループで責任を持つっていうのとか、提出されたレポートを配るっていうのとか、自分がやらなきゃって思う環境に少しずつ巻き込まれていったのかなと思う。それで3年になったらグループで責任とかなくなったけど、みんな自然にやるようになったよね。



ちえみん 3年になって前期はあんまりグループワークがなくなったよね。

ミシェル 3年の初めは、今までグループワークで学んできた私たちの物の考え方をちゃんとした言葉で勉強するみたいな感じだった。自分たちの認識の仕方とかを考えたりした。

さちこ ものの枠組みがどうなっているのかってことを考えたけど、私たちは実際に枠の中しか見ていなくて。だから、枠の外では違うっていうことをちゃんと見ていくっていう感じだった。私は結構好きだったな。

ちえみん 2年での授業があったから、掘り下げて考えるとか、枠を広げて考えるとかそういうことを前よりはできるようになってたと思うの。それで、認知地図(*)を描いてみたときに、自分の住んでいる場所とかを実際に改めて見てみると、知らない場所がたくさんあって、全然地図が書けなかった。自分の住んでいる場所をすごくフレームにはめて見ているってことにはじめて気付いた。私はこんなに狭い枠の中で暮らしてたんだって。

*認知地図

さちこ 自分がなにも見ていなかったってことに気付いて、私はその後の集中講義でさらに自分の経験を語るってことが本当にできなくて、自分は何して生きてきたんだって思った。

ミシェル 3年の時はテクスト講読(*)もあったね。

*テクスト講読

ちえみん メディアアート論(*)の前の時間も、みんなでテクストの課題出して、ああでもないこうでもないってやってたよね。

*メディアアート論

ミシェル テクスト講読の授業は、面白いと思って聞いてた。この授業を受けて、自分がこれから社会に生きていく中で、いろんなことを考えながら生きていかなきゃだめだなって思った。結局具体的にどうすればいいのかってことはわからないまま3年は終わってしまったけど…。でもゼミに入って、やっと自分でものを考えるっていうことが、ちゃんと具体的に出来るようになってきた。

えみし そうだね。

ミシェル ゼミ…入るべき。

黒帝 俺もゼミ入ってから、本当に考え方変わった。

えみし ゼミの第一回発表(*)で自分の考えが打ち砕かれたのが大事だったなって思う。

ちえみん 私はそれ、第二回発表(*)のときだったな。第二回発表では自分の今までの経験もふまえて言った方がいいのかなって考えて、なんとなく自分の経験も入れつつこんな感じじゃないかなって発表をした。

*第一回発表

*第二回発表

さちこ 私も第二回発表がそういう感じだった。

ちえみん そしたら、先生から「もうちょっと素直に率直に考えてみたら」って言われたんだ。そのときが、先生の授業を受けてきたなかで、すごい一番ショックだったと思う。

えみし 私も第一回発表で、「いかに自分ががんじがらめになってるかってことを考えてみたら」って言われて、なんか世界が壊れた感じだった。

ミシェル 第一回発表嫌だった。子どもについて発表したけど、「子供をちゃんと見てないよね」って先生に指摘されて…。

えみし そうだね。<ミシェル>も第一回発表で打ち砕かれてたよね。でもあれはすごく大事だった。

ミシェル 大事だった、あれは大事だった。



ちえみん このリフレクションムービーを作ってみてどうでした?

ミシェル 最初<セシル>から1年の時からのノートを授かり、リフレクションの事まとめなきゃって思って見てたら、今までやってきたことがちゃんとつながっていてすごいってなった。

黒帝 何のために授業で今までの課題をやってきたのかっていうことも、リフレクション作らなかったらあんまり考えようともしてなかったと思う。

ちえみん こういう機会がなければ1年の頃の授業なんて思い出さないよね。

えみし あと、夏ゼミのみんなとこれまでを振り返る過程とか作っていく過程でいろいろ話せたのがよかった。私は、自己紹介ツールとか、デジストとか、自分が自分に向き合ったものだと思ってたの。でも、<黒帝>とかが、周りの人がいたことが大きかったってことをすごい言ってるのを聞いて、確かに私も周りの人がいなかったら出来なかったことばっかりだなって思って。そういう意味では、この夏ゼミの活動を通して、自分の中にある長谷川先生の授業の記憶が、少しまた厚くなったと思う。

さちこ なんか1人で振り返るより、こういう風に振り返れたってことがよかった。

ちえみん あと、インタビューやってよかったよね。先輩たちの話を聞いて、その年ごとに先生が授業のやりかたを変えてるんだなっていうこともわかったし…いろいろな話が聞けて良かったよね。

さちこ リフレクションムービーを作った中で、私たちの見方でしか授業を振り返ることができなかったのが、先輩達にインタビューしたことで、また厚みが増したよね。

えみし 特に<ヤダ>さんのインタビューの時は、初めて先輩にインタビューするときだったから、いかに自分たちがゼミに浸りきっているのかっていうことがわかったよね。それもまた結局、ひとつの見方でしか見ることができてないんだなってことに気づけた。

ちえみん ちょっとショックだったよね。すごい押しつけるような聞き方をしてた。今でもインタビューを録音した音声を聞くと、「〜でしたよね?」とか、自分の前提が出来ちゃってたなってすごく思った。

さちこ リフレクションムービーを作ってるときも、知らない人に見せるっていうことを考えてやっていても、やっぱり作り終わったものを見ると、知らない人が見たら何を言ってるのかわからないんじゃないかって思うこともあるしね。それで字幕をつけたほうがいいとか、言葉での説明も必要だとか、後から気付いたことも多いよね。



ちえみん 自分の持っているものの枠組みを広げられたと思っても、またその中にいろんな枠組みがあって、距離をとってものごとを考えるのが難しいよね。

黒帝 広げた先にまたもう一個枠組みがあったりとかしてね。

えみし 重なりあってて、それこそがんじがらめだよね。だけど、そういうことを知ることが出来ただけで、全然違うなと思う。

ちえみん 長谷川先生の授業受けてなかったら、きっと全然こんな考え方にならなかったもんね。

えみし むしろ、自分の見方とか、自分がとらわれている考えに違和感を持たずに、どんどん深みにはまっていったんじゃないかな。自分がそういう状態にいることさえもわかんなかったと思うし、<きーにゃん>さんのインタビューのときにそんな話がでたけど、そういうものだって思ってたというか、思ってさえもいなかったというか。

ちえみん そうだね、作られた自分なんて考えもしなかった。私はジブリ好きって思ってて、ゼミでも発表したけど、別にそうじゃないんじゃない?って考えるようになって。ジブリと距離をとって考えてみたら、今まで信じてたものが違ったんだなって思えるようになった。前みたいに夢中にはなれないのが寂しいなとは思うけど、でもこっちを選んでよかったなって。

さちこ 私は夢中になっちゃったときに、ふと冷静になって、あれ?って思う感じだな。

ちえみん うん。私もふと見ると、すぐに何も考えない自分に戻っちゃう。たまに考えるのつらいなって、楽になりたいなって思う自分もいる。

えみし いるいる。ゼミ合宿とか、いままでの発表を通して、吐き出すことのつらさみたいなものを味わったじゃないですか。それがすごく自分にとって大事なことで、自分がこっちを選んでよかったと思っているけれど、一方でそれがどれだけつらいことかっていうのもわかってる。そういう意味では、そこで負けたら終わりだなって思う。

*ゼミ合宿

ちえみん 考えることって1年のときから積み重ねてきたんだよね。





――註――
レポート配布
長谷川先生の授業では、レポート課題として提出したものを、全員分コピーしてお互いのものが読めるように配布されます。

一般教養の授業
明治学院大学共通科目一般教養の授業のことです。

寸劇
「典型的な日本のメディアの光景」というテーマで、グループに分かれて、2分間の寸劇を発表しました。

1年のとき
<黒帝>と<えみし>は1年生の長谷川先生のメディア史を受けていませんでした。

デジスト
デジタルストーリーテリングの略です。「自分にとって切実なこと」をテーマに各自2分間のデジタルストーリーテリングを制作しました。

本ではない本
グループで各自興味のある題材を持ち寄り、論考を書き、「雑誌」を制作しました。「雑誌」は冊子ではなく、持ち寄った論考にふさわしい独自の形態を発明します。

集中講義
受講生が少人数のグループに分かれ、「なぜ働くのか」というテーマについて3日間話し合いをするというワークショップ形式の授業を行いました。

グループで責任
自己紹介ツールは個人ごとで制作しましたが、グループでの話し合いの過程が重視されました。そのため、各自の作品の発表はグループ全体で責任を持つことになっていました。
認知地図
自分の家の周りなどの地図を思い浮べて描きました。そのことにより、自分が普段何を認知していて、何を意識していないのかを考えました。

テクスト講読
読解力を養うため様々な本を読み、その本についてレジュメを作り発表を行う講義です。芸術メディア系列では3年次に行います。

メディアアート論
メディア系列3年次の選択必修科目のひとつです。メディア論の理論について実践を通して学びました。

第一回発表
4月に行われたゼミ内発表では、それぞれ自分の興味のあることや切実なことについて発表し、ディスカッションを行いました。

第二回発表
第二回発表では、卒業論文のテーマを視野に入れた発表をし、ディスカッションを行いました。

ゼミ合宿
8月にゼミで行われた合宿です。ここでは、第三回発表が行われ、それぞれ卒論のテーマについて発表しました。

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