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第4期ゼミ長<かわしま>には2012年8月16日にインタビューしました。
聞き手はあお、話し手はあかで色が分かれています。
それでは、ごゆっくりお楽しみください。


◆正解とかじゃなくてもいいんだって思えたのは、すごいおもしろいことだった

ちえみん まず、ひとつめの質問として、先生の授業を受けてきて、今の自分にどんな影響があるかっていうことを聞きたいです。

かわしま 私は1年生のときは、長谷川先生の授業受けてたら性格悪くなるだろうな、って思ってた。なんでこんなにひねくれてるんだろうって。

ちえみん それは思った。

かわしま 入学式のときに、先生たちが並んで自己紹介をしたとき、長谷川先生にまず「なんでスーツで来たの?」って聞かれたじゃない。それをすごく覚えてて。私もなんでスーツで行くんだろうって思いながら、皆スーツで来るから私もスーツで行かなきゃって思って入学式に行ったので、こういうことについて考えている人がいるんだ、おもしろいなって思った。

ちえみん それで、実際授業とってみてどうだった?

かわしま 実際授業とってみて、1年のときは座学がほとんどだったから、退屈なときはあった。

ちえみん じゃぁやっぱり長谷川先生の授業をこれだって思いはじめたのは2年から?

かわしま いや、でも1年生のときに、メディアの歴史を教えてもらってて、その合間に『スキージャンプペア』(*)を見たり、うそメディア史の開発(*)とか寸劇(*)とかもやって、そういうところはおもしろいなって思ったよ。

*『スキージャンプペア』
*うそメディア史の開発
*寸劇
黒帝 <かわしま>はうそメディア史なにやったの?

かわしま 私は、日本の昔の習慣みたいなのを新しく考案した。平安時代くらいの人の服がなんでこんなに袖が長いのかっていうのを、全然違う意味を持たせて考えた。袖が長いのは、男の人が女の人の家にいくときに、帰り道がわかるように袖から糸をずっと落としてたんだってことをいかにも本当らしく語った(笑)習慣とかも考え方を指定するもののひとつかなと思って。

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ちえみん やっぱり自分の考え方が授業を受けて変わっていった実感はあった?

かわしま 1年生のときから、発言しなよって言われるじゃない。だから、発言は意識してするようにしてたけど、それまでの自分は、物事にはなにか正解みたいなのがあって、それを言うのが正しいんだと思ってて。だけど授業を受けていくうちに、ああ正解とかじゃなくてもいいんだって思えたのは、すごいおもしろいことだった。

ちえみん 正解を言うんじゃなくて…

かわしま でも正解を言わないことの難しさみたいなのもあって、どっかで正解を探しちゃうし、自分が考えてることが言葉にならなくて、どうしても言いやすい言葉の方に引きこまれちゃう。そういうのは難しいなって思うんだけど、おもしろかった。

ちえみん ゼミに入った今でもそういうのあるよね。

かわしま そう、未だに正解っぽいことを探してしまうし、これなら正解だろう、みたいなものに引きずりこまれてしまうのを感じながら、自分の実感にとどまるのは難しいなぁって思ってることは変わらない。

ちえみん 私は今まで高校とか中学では正解があって、授業にでる意味ないじゃんってずっと思ってたの。だけど長谷川先生の授業では、正解がないから、授業にでている学生ごとに雰囲気とかも違うし、だからそういう意味で授業ってこんなにおもしろいものなんだって思えたかも知れない。

黒帝 自分から進んで取り組めたのがすごい大きかったよね。それが、長谷川先生の授業ではじめてだったから、それは大きいかなとは思う。

かわしま しかも1年生のときとかあんなに人数いたのに、あとで先生と話してみると、君はあの時こういうこと言ってたよねとか一人一人覚えてくれててね。

ちえみん 感動した!

黒帝 うん、嬉しかったよね。



◆これやってどうなるんだとかは、いい意味で考えず、ワークショップに夢中になってた

ちえみん ワークショップ形式の授業に対してはどう思った?大学に入ってはじめてだったし、高校ではあんまりなかったと思うから、最初の印象としてはどう思ったのかなと思って。

かわしま 私はわりと最初から、おもしろそうだなと思って、課題だけを見て取り組んでいったところはあったかも。それをなんのためにやるとか、どんな意味があるとか、これやってどうなるんだとかは、いい意味で考えず、ワークショップに夢中になってたところはあった。

ちえみん 授業受けてきてゼミに入ろうと思ったきっかけっていうのはどこにあった?

かわしま 1年生のときから、大学入ったからには論文は書いて出たいなとは漠然と思っていて、どこのゼミに入ろうかってときに、長谷川先生のゼミだろうなってことはそのときから思ってたかも。

黒帝 <かわしま>は演劇とか好きなんだよね?

かわしま そう、最初に高校生のときにオープンキャンパス行ったときは岡本章先生(*)の模擬授業を受けたの。私はそれまで芝居を見るのが趣味で、その延長で考えてたことっていうのを、その授業では学問として喋ってくれて、「これまで趣味だと思ってたけど、これが勉強にもなるんだ」って思ったのね。演劇を見て、ただ面白いとか素晴らしいとかで消化するだけじゃなくて、ちゃんと学問として考えていいんだと思って芸術学科に入ったところはあった。でも実際入ってみると芸術学科は4系列ある(*) し、他の系列の授業も全部おもしろかった。だから演劇のことだけを考えるのはもったいないと思った。
*岡本章先生
*芸術学科

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ちえみん ワークショップをやって自分にプラスになったことがなにかあったら教えてください。

かわしま 自己紹介ツール(*)を作ったときに、自分の要素を100個書いたじゃないですか。例えばその100個を分類すると、自分にはこれと、これと、これって感じで3つくらいの大きい要素があるなってことがわかったりする。でも、どれかひとつだけに焦点を当てて自分を表現したくないなっていうのがあったんだよね。だから、要素が含まれているその全体をどう表そうかみたいなことをずっと考え続けていたから難しかった。だからやりきった感じはなかったけど、しいて言えば発表の直前までねばって考えることができたっていうのが、プラスかなぁ…

*自己紹介ツール

ちえみん それはやっぱり、まわりに人がいてくれたからとかそういうのもあった?

かわしま そういうのも多分あった。チームの人にすごい時間割いてもらって、ああでもないこうでもないって言ってやってた。

ちえみん なんか卒論とも考え方が似てるね。

かわしま ね。そうなんだよ。どれかここって決めちゃえばきっと進めるんだけど、それだけじゃない自分の全体をどう扱うかについて考えられたってことが、やってよかったなって思えたかも。

えみし そう、2年のときって掘り下げて考えることができたじゃない。みんなと話して、どんどん掘り下げてくのも楽しかったし、自分のなかで一人で考えるっていうのも、こんなに楽しいんだって思ったし、しかもそうやって自分がそこまで考えることができて、それを表現することができるっていうのがおもしろかった。だけど、なんか3年になって、わりとがらっとかわった印象があって。

ちえみん
かわしま
うんうん。
えみし 3年になって先生の授業うけて、そのときはつながりとか全然考えてなかったから、なんで今これやってんだろうみたいなことを3年の春にすごい考えちゃって、なんで私いま動物の目線になって街歩いてる(*)んだろう って思いながらやってたのね。そういう気持ちだったから、みんなどうだったのかなってことが気になっている。

*動物の目線になって街を歩く

かわしま 確かに、3年になっていきなりトマソン(*)とかやりはじめたもんね。3年の前期の授業は、私の中では繋がってたんだよね。それは授業としてというより、自分が考えてたことと繋がってたというか。トマソンとかは、私は大学1年くらいのときから赤瀬川さんの本読んでて知ってたから、授業で出てきて単純に嬉しかったし、アフォーダンス(*)とかもやったけど、演劇とか見て考えてたことが、社会学であるんだと思って驚いた。だから、私は楽しくやってたかな。

*トマソン
*アフォーダンス

ちえみん 私は3年生のトマソンやった授業は、2年のときよりもおもしろいなって思ったかも知れない。

えみし そうなんだ!

ちえみん 自分で動物になって歩いてみたときに、自分が気付かなかったことがすごく色々見えてきたから、街を歩いてみて。こんなに私って限定的にものを見てたんだなってことをすごく実感できた。そういう意味ではすごく私はおもしろかったし、もっとこういうことに気付いていきたいなって思ったかも知れない。


ちえみん 一番印象に残ってる授業とか、ある?

かわしま それ考えたんだけど、どれが一番印象に残ってるとかじゃないよねもはや。

ちえみん うん。私も今話してて思ってた。

黒帝 結構つながってるしね。

かわしま どれということではなく、授業も、いま夏ゼミがリフレクションでやってるけど、全部とってきたから自分の中にあるものっていうのがあるじゃん。だから、それこそ『アトラクションの日常』(*)のあとがきみたいだけど、いくつかの授業をとるだけでも、一個一個は独立しておもしろい。だけど、通して受けることで、前に受けた授業が他の授業での、あるいみ通行手形になるし、それは通して取ってたからこそ気付けることじゃない。だから、どれが独立しておもしろいかってよりは、やっぱり4年続けてとってよかったなと。

*『アトラクションの日常』


◆今までにやったことないことができてるっていうのが、すごいわくわくしてます

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ちえみん つぎはゼミに入ってのことを聞きたいのですが、実際ゼミに入る前に想像してたゼミっていうのと、今やってきてるゼミっていうのは、違う?

かわしま なんていうんだろうね、あんまり想像とかしなかったけど、絶対このメンバーでやったらおもしろいっていうのは、ゼミが決まったときから思ってた。話したことない人もいたけど、それまでの授業での発表とか作品とかでどういう取り組みをしてきたかっていうのは、一緒にやってきたからわかるわけじゃん。だからすごいおもしろい人たちが集まったなって。

黒帝 濃い人集まったよね。

かわしま しかもこんな人数多いし、実際すごくおもしろいよね。しかも、ゼミが始まる前に思ってた以上のおもしろさがある。ゼミが2チームに分かれる(*)こととかは全く考えてなかったけど、いざやってみるとチームごとの特色みたいなものが表れてくる。私はそれをゼミ長って立場から見ているわけだけど、それもおもしろいことだし。夏の期間も集中講義(*)運営と夏ゼミとってわかれて、たぶん今までのゼミ生が考えてなかったことが考えられるというか。人数が多いから考える頭が多いっていうのもあるし、今までにやったことないことができてるっていうのが、すごいわくわくしてます。

*ゼミが2チームに分かれる
*集中講義

ちえみん 確かにそれは私も思う。<かわしま>は、私たちと違ってゼミ長っていう立場でゼミを見ていて、どう?

かわしま 4月のころとかは、みんなどう進めていっていいかわからないから、とりあえずこうしようって決めてみんなでやっていくみたいな体制があったよね。ゼミ長だから頑張って進めていかなきゃって気負ってたけど、いい意味ですぐに関係なくなった…(笑)今はゼミ長だから大変というよりはおもしろくて、今の時期は現場にも記録にも夏ゼミにもそれぞれ顔を出しに行けるっていうのがすごい嬉しい。

ちえみん ゼミ長っていうとうちらゼミ生よりも先生と一緒にいる時間っていうのが多分長いと思うんだけど。

かわしま どうだろうね。4月・5月とかは、先生にゼミのことを相談しに行っていいですかみたいな感じで話しに行ったときもあったけど、でも、どうしましょうね~みたいなことを言って、まぁなるようになるんじゃないってなって終わるという。みんなで考えながらやっていってね、ってメッセージだと思ってます。

ちえみん やっぱり答えを教えてくれるわけじゃないよね。

かわしま そうそう。ゼミ長は、一応先生とゼミ生との間のやりとりを取り持つっていうのはあるけど、ゼミ生のなかにいてそういう役割の人がいるってだけだから、ひとりだけ先生により近いとかいうのはあんまり意識していないかな。


ちえみん もし今先生に出会ってなかったらどうだったかな?私はたぶんすごく適当に普通に就職先決めて、遊び暮らして、自分にも世の中にもなにも疑問を感じずに、のうのうと生きていたと思います(笑)

かわしま 私もたぶんそんな感じだったかな。なんか違うなって思うこととかがあっても、それをどうしていけばいいのかわからないままで適当にやり過ごすことになったと思う。考えなくていいから楽なんだけど、そうならなくてよかったなって思う。だから、なんか変だな、ちょっとおかしいんじゃないかなってことを漠然と思い浮かべてるだけっていう状態から、どう進むかとか、それをどう考えていくかみたいなことに今ちょっとずつ取り組んでるから、そういうのはよかったよね。

ちえみん そうだね、長谷川先生に出会っていたから、ゼミに入っていたからだよね。

かわしま だから逆に、今ゼミにいると話も通じやすいし居心地よくなってしまって。全然違う学校にいる人と就職活動の話とかになるとこっちの話がうまく伝えられない。向こうの話がどういう風に成り立ってるのかとか、私もまだよく考えられないからわからないみたいな状態になってて。ここに居過ぎてもだめかなーとも思う。

ちえみん だから1年間なのかなっていうのは思う。居心地いいもんね今。

かわしま うん。もっと今までの4年間がどういうことだったか、とか深く考えてみたいよね。たぶん考えてみたいっていったら、みんなそうだよねって言ってくれる人たちだし、どんどんこれから論文大変になっていくけど、1月以降とかはせっかく3ヶ月間ひまなので、できる限りいろんなことやりたいな。そういうことができるゼミだと思います。

ちえみん 最後に、言い残したことはありますか?

かわしま 言い残したこと…ゼミたのしいですー!

ちえみん ではインタビューを終わります。今日はありがとうございました!



――註――
『スキージャンプペア』
真島理一郎製作のデジタルアニメーション作品および、作品の中で描かれている架空のスポーツ競技です。
二人の選手が一枚のスキー板を使ってジャンプします。

うそメディア史の開発
2009年度メディア史概説Sの期末レポートです。
存在しないメディアをあたかも存在するかのように作り、その概要をまとめました。

寸劇
2009年度メディア史概説Sの最初の課題です。
「典型的なメディアの光景」というテーマでいくつかのグループに分かれ、1グループ2分間の寸劇を考えて演じました。
発表後はそれぞれのグループの寸劇につけるタイトルを各自で考え、その寸劇がメディアのどのようなことを表しているのかを読み解きました。

岡本章先生
芸術メディア系列の先生です。

芸術学科
明治学院大学文学部芸術学科は2年次からさらに専門的な分野を学ぶため、系列選択を行います。
系列は芸術メディア系列、音楽学系列、映像芸術学系列、美術史学系列の4つにわかれており、長谷川ゼミは芸術メディア系列です。

自己紹介ツール
2年次前期の授業で、「名刺ではない名刺」として自分を紹介するのにもっとも効率的なツールを発明しました。
詳しくはアーカイブページでご覧ください。

動物の目線になって街を歩く
3年次の授業で、人間の認識枠組みとは異なる枠組みを経験するために行われた課題です。
環境にあるもの全てに対して、環境が私たちに提供する無限の「価値」を探索しました。

トマソン
「無用の長物」のことです。
普段、私たちは選択的にものを見ていますが、カメラの目になって、すべてのものを均質に見るようにしました。
私たちはいかに「当たり前」と思うようなものに囲まれているのか、自分の枠組みを疑いました。

アフォーダンス
環境が動物に対して与える「意味」のことです。

『アトラクションの日常』
長谷川一『アトラクションの日常』(河出書房新社,2009)
芸術メディア系列3年次の授業である「テクスト講読」で講読するほか、長谷川ゼミでは毎年講読発表が行われます。

ゼミが2チームに分かれる
2012年度の長谷川ゼミは、ゼミ内で2つのチーム(【!】チーム・【?】チーム)をつくって活動しています。

集中講義
3年次の夏休みに受講する芸術メディア系列必修の講義です。
3日間、あるテーマについてグループで話し合い、最終的に上演形式で発表を行います。
<かわしま>が受講した2011年度は、「なぜ働くのか」がテーマでした。

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